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053-463-5215
地元、遠州浜松 ~昭栄商会はこの環境に育てて頂きました~
1,558.06平方キロメートル
市の面積 全国2番目の広さ (東西約52キロメートル、南北約73キロメートル)
807,005人
総人口 2017.8.1 現在
518人/㎢
人口密度 2017.1 現在
20,952人
外国人数 ブラジル【大都市比較1位】フィリピン【大都市比較5位】中国【大都市比較18位】
16.5℃
平均気温
1,830.55mm
降水量
2,324.3時間
592,495台
5,398件
2人
日照時間 【大都市比較2位】
保有自動車台数 【大都市比較1位】
犯罪発生状況認知件数 【大都市比較最下位(21位)】
マスコットキャラクター 出世大名 家康くん / 出世法師 直虎ちゃん
参考:浜松市ホームページ
浜松の数字
『浜松の数字』
『浜松の特徴』
浜松は静岡県で2つ目の政令指定都市です。東海道(東京・約250kmと大阪・約270km)のほぼ中央に位置する利便性、温暖な気候、豊富な水資源、豊かな自然、日照時間の長さが地の利といえます。また昔から「ものづくりのまち」と言われます。明治の中ごろから繊維用の機械(織機)・楽器・オートバイなどの工業製品が次々と産声を上げました。それらは世界的なメーカーに発展し、また数多くの地域企業の技術、技能を育てました。近年では、光技術、電子技術関連などの先端技術産業で、ノーベル物理学賞(2002年・小柴昌俊博士)受賞にも大きく貢献しています。さらに昔から人の往来が盛んな土地柄のため、地元出身者以外の方を受け入れ安い風土も、多くの企業家が誕生する理由の一つと思われます。また農林水産業も盛んです。特産品はミカン・お茶・お米・菊・スギ・ヒノキ・シラスウナギ・スッポン・ハモ・トラフグなどが自慢です。
浜松の特徴
「やらまいか」とは遠州(静岡県西部)の方言で「やってみよう」「やってやろうじゃないか」という意味。
浜松人の気質を表すこの言葉は、新しいことに果敢にチャレンジする精神を表します。
本田宗一郎翁、豊田佐吉翁などの地元出身の発明家を支え、ホンダ、スズキ、ヤマハなどの大企業に発展したこと、
先の大戦時、空襲と艦砲射撃で市街地の約9割以上が破壊された浜松が、ゼロから再出発して
今日の発展を遂げたことなどは「やらまいか精神」がパワーの源かもしれません。
やらまいか精神
『やらまいか精神』
『浜松の自然』
浜松の自然
「写真提供:浜松観光コンベンションビューロー」
天気の良い日には、東の山々の連なりに富士山を見ることもできます。
1911年
BC16000年
浜北人が足跡をしるす。(本州最古の人類の化石)
750年
東海道が整備され、市内南部を通過する。
800年頃
日本最古の万葉集「遠江・とほつあふみ」(浜 名湖)が登場。浜松周辺は遠江国(とおとうみ)と呼ばれる
1498年
地震・津波で浜名湖に今切口ができる。浜名湖はこれ以後「汽水湖」となる。
1570年
徳川家康が引馬城に入る。
1601年
新たに東海道が整備され、宿場が設けられる。同じころ、本坂通(姫街道)も整備される。
江戸時代
浜松城主22名中,5名が老中になり、出世城の異名の由来になる
1697年
国学者・賀茂真淵誕生 後に国学を確立した四大人 の一人とされる
1871年
浜松県が置かれる。
1876年
浜松県は静岡県と合併し、支庁が置かれる。
1928年
1945年
2005年
2007年
浜松に市制が施行され、浜松市となる。
陸軍飛行第七連隊(現航空自衛隊浜松基地)が置かれる。軍需産業が盛んになる
浜松大空襲で市街地の大半を焼失する。
天竜川・浜名湖地域12市町村が合併。広さ日本2位の新「浜松市」誕生。
政令指定都市へ移行
参考:浜松市ホームページ
浜松の歴史
『浜松の歴史』
【織 物】
江戸時代
後期
農家の副業で栽培した綿花が日本有数の産地になる
幕末期
織機を使った織屋が増え、「遠州織物」がブランド化する
1890年
豊田佐吉(現トヨタグループの創始者)
「豊田式木製人力織機」完成・特許取得
1896年
豊田佐吉(現トヨタグループの創始者)
日本初の動力織機「豊田式汽力織機」を完成
1911年
鈴木道雄(スズキ㈱の創業者)が格子模様を自動で織れる
織機を完成させる
1924年
豊田佐吉「無停止抒換式豊田自動織機」(G型)の開発
この地域では織布準備、織布、染色、縫製など各工程が細かな分業制になっているのが
特徴。それぞれが小さな家内制規模でありながら国内トップレベルの高い技術を誇って
いたが、次第に外国の安価製品におされ生産数は減少。しかし、現在でも浜松地域のゆかた取扱い量は全国一です。
浜松の産業歴史
『浜松の産業歴史』
【楽 器】
明治30年代のアップライトピアノ
「ヤマハ株式会社提供」
1887年
山葉寅楠(やまはとらくす-ヤマハ㈱の創業者)が
初めて「オルガンを」製造
1898年
1900年
1954年
河合小市(㈱河合楽器製作所)が
「ピアノアクション」を発明
日本楽器製造㈱(現ヤマハ)が
「ピアノ」製造・国産初の「電子オルガン」開発
日本楽器製造㈱オルガンの教室を開講
(ヤマハ音楽教室の前身)
1970年代半ばには電子楽器開発、その後「消音ピアノ」、さらにパソコンで作曲や演奏を楽しめるコンピューターミュージックも登場し、新たな分野にも進んでいます。また、管楽器の生産量も全国一を誇っています。
現在ではヤマハ・カワイ・ローランドの国内三大楽器メーカーが浜松に本社を置いており、プロ仕様の各種楽器や鍵盤ハーモニカ・リコーダーなどの教育楽器を始め、音楽教室、体験教室、スポーツギア、住宅設備など多岐にわたって、暮らしを彩ってます。
【乗り物】
1919年
1912年
鉄道院(現JR東海)浜松工場で、
「蒸気機関車C51型第1号車」完成
鉄道院(現JR東海浜松工場)浜松工場が業務を開始
1922年
1929年
1946年
1952年
1955年
1955年
1960年
1960年
1963年
1966年
福永浅雄(㈱福長飛行機製作所)
国産初の本格的旅客機「天竜10号」を完成
豊田佐吉、喜一郎(長男)に「自動車」研究開発を命ずる
本田宗一郎(本田技研工業㈱創始者)
「ポンポン(50ccバイク)第1号」を製作
鈴木式織機㈱(現スズキ)が
オートバイの「パワーフリー号」を発売
日本楽器製造㈱浜名工場(現ヤマハ発動機)が
「オートバイ・YA1」を開発
鈴木自動車工場㈱(現スズキ)が
「軽四輪車スズライト」を発売
ヤマハ発動機㈱第1号の第1号船外機「P-7」発売
ヤマハ発動機㈱第1号の市販FRPモーターボート発売
本田技研工業が「軽四輪トラック」を発表
鈴木建治㈱遠州軽合金 国産初のアルミホイールを開発
二輪車の国内4大メーカー(ホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキ)のうち
ホンダ、スズキ、ヤマハの3社が立地しています。
その後も二輪車以外に、電動アシスト自転車、ゴルフカート、産業ロボット農業用ヘリコプター、船舶など多岐に渡っています。
国産初の4人乗り軽自動車を発売したのは(現)スズキ㈱で、現在でも常にシェアのトップを争っています。
【光産業】
1926年
浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)助教授、
高柳健次郎が世界初のテレビジョンの実験に成功。
1950年
1956年
2002年
杉浦睦夫が世界初の胃カメラを発明した
堀内平八郎の研究により浜松テレビ㈱
(現浜松ホトニクス)が、光電子倍増管を開発。
小柴昌教授ニュートリノ検出により
ノーベル物理学賞を受賞。
浜松ホトニクスが”カミオカンデ"の光電子倍増管を開発
高柳健次郎氏が浜松で世界初の電子式テレビの実験に成功したのを礎として、
浜松地域の光産業は発展し今では世界をリードしています。パソコン関連機器等の身近な物をは じめ、医療分野や金属加工分野に至るまで応用分野を生み出す可能性を秘め注目されています。
【工作機械】
1922年
大瀧太と鈴木信一・天龍製鋸㈱
日本初の国産「丸ノコギリ・スター印」を完成
1947年
1968年
庄田和作(庄田鉄工㈱)
日 本初の「ルーターマシン」を完成
庄田鉄工㈱世界初のコンピュータ制御の
「加工機械・NCルータ」の開発に成功
遠州地方の産業を支える技術として、NC工作機械や金属製品などの周辺技術も高度に磨かれています。
【暮らしのあれこれ】
1889年
1900年
1921年
1926年
1890年
王子製紙の気田工場が操業を開始。
日本の「洋紙生産発祥の地」となる
服部倉次郎が浜名湖湖畔で養殖地をつく り、
「ウナギの養殖」を開始,その後「すっぽんの養殖」も開始
松島保平(三立製菓㈱創業者)「金平糖製造機」を生み出した。
メロン栽培で西尾良一が
「温室用ボイラーの完全燃焼装置」を開発
石川倉治が発明した点字が「日本式点字」に正式に採用
浜松の「うなぎ」、遠州地方の「高級マスクメロン」。今日ではどちらも静岡の代名詞に成長をとげ、全国、世界の方々に愛されています。また災害時には、カンパンと氷砂(金平糖)が強い味方となりみなさんを支えています。これも浜松産です。
参考文献(ホームページ)
浜松市情報もっとBOOK
浜松市ホームページ
浜松・浜名湖観光情報サイト 浜松だいすきネット
ヤマハ株式会社
ヤマハ発動機株式会社
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